20200602

蒸し暑さとマスク

雨が降り続き蒸し暑い。
苦しいなあ、マスクしながら歩いて仕事に向かっていた。
人がいない、道の広いところでマスクをずらしたタイミングで、自粛警察に、ぶち当たってしまった。
いつも通る道に、いつもいるおじさんで、挨拶というか、会釈をする仲で、すごい遠くにいたのに、わざわざ近づいてきて、指をさしながらいきなり
「マスクしてください、教育上よくないでしょ」と、ディスタンスを取られながら言われた。
「持ってるし、人がまったくいないですよ」と言い返した。(あなたがぐぐっと近づく方が、リスク増えるんですけど。教育上ってなんだよ、子ども今いないよ。)と思った。
互いの意向がぶつかり合い、睨みあって、違う道を歩いた。
血が沸いた、嫌悪した。雨の中、美しい緑の中を無言でずんずん歩いた。

いじわるな男の子役

子どもが、「いじわるな男の子」役を、私にやれと言ってくる。
ごっこ遊びの盛り上がりである「いじわるな男の子」は必要で、それに対して子どもは、凛とした優等生タイプの女の子を演じる。
たくさん持っている人形やぬいぐるみも、赤色、クマ、男の子、女の子…すべてカテゴライズされていている。共通項を見つけ、すぐにグループにする。
きっと面白いんだろうな、そうやって分ける作業が。
コレクター気質でもあるし、同じことを繰り返す行動も大好きで、
味違いのアイスクリームのパッケージを、並べて大切にするような子どもなのだ。

私は少し心配していて、いじわるな人という存在を仕立て上げたり、人種差別や性差に対するヘイトにならないか案じている。
だから、赤の人形の中に、黄色の人形を、ヘレヘラと遊びに行かせる。「らしさ」から距離を置いたキャラクター設定にしたりする。いじわるしていた(させられていた)男の子役のわたしは、「一緒に遊ぼ〜」って言ったり、急に気弱になって泣いたりしている。

わたしを遊びに誘うのなら、子どものやってほしいようにだけはさせない。
「こんな風にセリフを言って」と言われた、7割は指示通りに言って、
3割は、他人との関わりの中で感じる「思い通りにならなさ」をスパイスとしていれておく。
保育園では、どんな風に遊んでいるか、わからない。そこは、彼女のよい塩梅で、友だちと楽しんでもらっているといいなと思う。

HUGっと!プリキュアの多様性

自粛期間中、Netflixで、2年前に放送されていた「HUGっと!プリキュア」を観ていた。
少女たちが戦士に変身するタイプの番組だ。
「なんでもできる、なんでもやれる。輝く未来を抱きしめて」という口上がオープニングにあり、私も流し見していた。
流し見していても、「多様性」「性差」を意識的に解放しているなと思うシーンやエピソードが多かった。
例えば、男の子が「プリキュア」になるシーン。ロボットが「プリキュア」になるシーン。医者が女性であるところ。お母さんが有名な俳優で、お父さんが登場人物の帰宅時間にあわせて夕飯担当しているシーンも、説明的な要素は全くなく、登場人物は日常として受け入れているところ。(周囲と比べて悩んだりするシーンがないこと)
子どもは、「なんで男の子がプリキュアになるの〜?」と聞いたり、「おとうさんが料理してて、うちもだよね」とか、自分の暮らしと擦り合わせていて、こういう番組、ありがたいなと思っていた。幼い頃のこういった思い出は、いつか腑に落ちることもあるからね。

違うことに落ち込まない。

で、最初の自粛警察の話なんだけど、「ま、いっか。たまたまタイミングが悪かったな。」と、こちらが自粛警察の振る舞いに怒っていることを、少しは伝えられてよかったな。を同時に思っている。
違うことに対して、必要以上に落ち込まない。きちんと声は出す。いろんな人がいる中で、倫理が合わないことはよくあることだし、そういう人とは、挨拶だけしたらいい。
やり過ごしたり、立場の違う具合を計ったりしながら、私は自分の身を守りながら、自分の思考を変えたり、変えなかったり、子どもには違う価値観を披露し、自粛警察とは違う道を、ずんずん歩いていく。