暮らしの中で、体に入った種は絶対に腐らないなと実感する最近。
30年前にどこからか飛んできた種の一つが、
思い出したかのように、今、大きく育っているのを感じる。
芽がでるかはわからないし、花が開く保証はない。
正解かわからないし、必要なことかもわからない。
でも、あらゆる人に確実に埋め込まれている。
暮らしの種は、教養とも言い換えられるし、経験とも言える。
学びとも言えるし、生活の工夫とも言える。
失敗とも言えるし、思い出とも言える。
私は、おばあちゃんからもらった、
おばあちゃんの暮らしのシーンを、
今、なぞっている。
それは、コピペできない、拡散できない、
たった一人のもの。
誰にも奪えない、盗めない、宝石が生まれる木になっている。
